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「ラテ?」
胸騒ぎがして落ち着かなくて、ドアの外で腕を組んだり解いたりしていると、決まって息子が帰ってくる。
無口な息子である。張り上げる声が聞こえるわけでもない。やんちゃに走り回るよりぼんやり空模様を眺めている彼が足音を荒げるでもない。ただ強いて言うならあの山百合の香りがふわりと風に乗って届くくらいで、合図らしい合図があるわけでも無かったけれど、そうして待っていると彼はかならず泣いていた。
確立で言えば十割である。
もっとも片手で足りる程度しかその覚えは無い。
息子は泣かない子供だった。昔ナイフで勢い余って手を切ったときはまず宿の女将が倒れて、駆けつけた主人がそれは慌てて右往左往していた。本人はわずかに眉を顰めて傷口を舐めただけだった。山の中腹にある滝で幽霊がどうこういう騒ぎになったときも、連れ立って冒険に行った子供達が全員大泣きして帰ってきたのに、引っ張り出されてついて行った息子はなにやら面倒臭そうな顔をして、行きは最後尾だったのが帰りは先導を持っていた。とにかく息子は普通の子供が泣くタイミングをことごとく無視していた。
「おかえり、入んな。ほれレーチェと玉露も」
すこし腕を伸ばさないと手が届かなくなった。躊躇い無く頬に触れてから、彼の肩に乗っていた竜を抱き上げる。連れるけもの達も息子の様子にすっかりしょげているようで、すこし微笑ましくさえ思ってしまった。
そういえば自分も泣かない子供だったと思う。もし息子が同じ神経を持っているのなら気持ちは解らないでもない。泣いたところでしようがないと、どこか心の底で思ってしまうのだ。泣くのが面倒で泣かないだけで、つらいことを背負い込むとかそういうえらい子供というわけでもなかった。お化けもあまり怖くは感じなかった。
それなら自分が泣くのはどんなときだっただろう。
泣かない子供が泣くときはなにを思って泣くのだろう。
思うより先に涙が出てしまうのはどうしてだっただろう。
「ねえ、ラテ」
そうして涙が出てしまうとき、女将は決まって大好きなキャラメルミルクを淹れてくれた。
正しくはそうして淹れてくれるから、キャラメルミルクが大好きになったのかもしれない。順序なんて忘れてしまった。けれどどうしようもなく甘くてあたたかくて、自分の涙があたたかいのもキャラメルミルクのお陰だろうかなんて、子供の頃は思っていた。間違っていないと今も思う。
心の中の涙のもとも、ゆっくりゆっくりキャラメルみたいに甘くとろけていく。
おかげで20代の頃には「悟っている」なんてよく言われたものだけれど。
「キャラメルマキアート淹れよっか」
自分のこころのキャラメルをゆっくり溶かして、涙を流して、子供はやっと大人になる。
訊ねても答えてくれない息子だから、そうして同じ道を散歩しながら、
キャラメルをとろけさせているのかもしれない。
本当はいくらでもお節介をしてやりたいと思ってしまうのは、母親の性なのだろうけれど。
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